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名前に捉われると、本質を見失う

日本人が外国人と恋愛すると

【関係性】の不明確さに

モヤモヤすることが多い。

 

基本的に関係は自然展開していくもので

「付き合ってください」みたいな

明確な線引きがないからだ。

実はこの悩みを抱えるのは、

日本人に限らない。

 

明確な境界線を引かない文化圏でも

何回かデートやSEXを重ねるうちに

“What are we?”

(私/僕たちって、どんな関係?)

とドギマギしながら尋ねる状況は

普通に存在している。

 

人間は、名前が欲しい生き物だ。

ぼんやり抽象的な概念ではなく、

理論的な境界線や定義がほしい。

 

名前があるだけで、

不思議と安心・安全を感じるのだ。

 

私はずっと

白黒をはっきりつけたい人間だった。

物事を定義したり、論理的に捉えるのは

今でも得意なことの一つだ。

 

だけど、大人になるにつれて

名前には何の意味もないことに気づいて

進行形でしか存在しないような

感覚や概念に価値を見出すようになった。

 

例えば、

すごく落ち込んでいた人が

病院で「うつ病」と診断される。

 

すると、

それまで感じていた体調不良や

人生に対する違和感や悲しみは

一つの呼び名に集約されてしまう。

 

「私はうつ病だから、こうなんだ」

 

でも、その言葉には何の意味もない。

 

名前がなかった/知らなかった時の方が、

本質に近いところにいたのではないか。

 

恋愛でも

「恋人」「妻・夫」と

名前がついた途端に何かが変わる。

 

目の前にいる相手の素晴らしさは

何も変わらないはずなのに、

確かに何かが変わってしまう。

 

職場でも

「課長」「部長」と名前がつくことで

リーダーから、マネージャーに、

変わってしまう人がいる。

 

リーダーシップを発揮していたからこそ

信頼され、成果を出せていたのに、

与えられた名前に見合うイメージを

体現しようとして自分を歪めてしまう。

 

 

 

名前は、お墓のようなもの。

本人のためではなく、

周りの人のために存在する。

 

自分自身も、人間関係も、

大事なのは本質であって

名前ではないことを意識しよう。

 

本質とは、

 

「うつ病」という名前ではなく

仕事に行くことを考えるだけで

胸が締め付けられるようなその感覚。

「ここにいるべきではない」と

頭の中で叫ぶ声。

 

本質とは、

 

「恋人」というラベルではなく

相手に対する強い欲求と信頼。

 

本質とは、

 

「部長」という肩書ではなく

価値ある理想を実現しようとする試み。

 

名前に縛られないで、

本質を生きよう。

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