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アーティスト&起業家として奮闘するクリスティーナの場合(前編)

大学生の時に始めたビジネスは、

西洋版書道=カリグラフィー。

結婚式や企業イベントの招待状、

レストランのメニューなど

手書きの味わいには価値があるもの。

 

アーティストと起業家の2つの面を持ち

現在はメルボルンで奮闘する彼女に

色々と話を聞きました。

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Q:今は何の仕事をしているの?

A:自分のカリグラフィービジネスをやってるよ。私はカナダのバンクーバー出身で、1年ほど前にメルボルンに引っ越してきた。結婚式のような個人的なイベント、レストランのような小規模ビジネス、パーティへの招待状にもこだわる高級ブランドなどなど…幅広いクライアントと仕事をしてきた。

 

Q:どんなきっかけで始めたの?

A:大学時代、マーケティングやコミュニケーションを専攻していて、その経験を積むために関連企業でアルバイトをしていたの。当時から、カリグラフィーは趣味としてやっていて、それを知っている社員さんも多かった。ある日、結婚を控えた人から「招待状を書いてくれない?」という依頼があったの。もともと起業家精神があったのか、最初から無料では引き受けなかった。数千円だったけど、報酬をもらうようになったのがきっかけ。

 

Q:どうやって他のクライアントを見つけたの?

A:周りの人から依頼されて制作した作品を、インスタグラムに載せて問い合わせを募ったの。当時はまだインスタグラムが流行りだしたばかりで、友達がたくさん見ているフェイスブックに載せるよりも、恥ずかしさとか抵抗が少なかったから。大学で学んでいるマーケティング知識を実践して、アマチュアっぽくならないように、プロフェッショナルな投稿内容を心掛けたし、インターネットのドメインやメールアドレスも取得した。

 

Q:それで、どうなったの?

A:イベント会社や結婚する人たちから、次第に問い合わせが来るようになったし、カリグラフィーを体験できるワークショップも人気だった。バンクーバーでは、カリグラフィーをビジネスにしている人がまだ少なかったのもあると思う。そうして順調に成長して、企業からの依頼も増えて、スタジオを構えるまでになったの。

 

Q:バンクーバーでビジネスが拡大していたのに、どうしてメルボルンに?

A:昔から、なんとなくメルボルンに住んでみたい気持ちがあったの。でも、きっかけがないまま過ごしているうちに、19歳の時から7年間付き合っている彼が、博士課程でオーストラリアに留学することになった。いくつかあった留学先の候補から、私がメルボルン大学を推したのは言うまでもないよね(笑)

 

Q:バンクーバーを離れるのは、勇気が要る決断だったんじゃない?

A:スタジオを構えて「これから!」って時だったし、確かに簡単じゃなかった。彼のパートナーとしてビザが下りるかも不透明で、いつまでオーストラリアにいられるか分からなかったしね。彼がメルボルンに行ったあとも、ついていくべきか半年くらい悩んでいたけど、結局は「メルボルンに行ってみたい」という気持ちに従うことにした。それで、ビジネスを引き継げる人を見つけて、彼女にバンクーバーのことは任せてこちらに来たの。

 

Q:じゃあ今でもマネジメントはしてるんだ?

A:そう。週1回は、ビデオ会議をしてる。部下を雇ったことがなかったから、契約書を作るにも弁護士の友人の助けを借りたり、とても大変だった。友人割引をしてくれたけど、それでもかなり費用が掛かったし…。でも、せっかく成長しているビジネスを止めたくなかった。引継ぎが決まってから半年間、一緒に仕事をしながら知識やスキルを共有したよ。

 

Q:実践するなかで学ぶことが多そうだね。

A:やってみないと分からないことって多いと思う。オーストラリアに来た時は、こちらでの永住を目指すつもりだったの。でも実は、来年の2月にバンクーバーに帰ることにした。だからって、こっちに来たことを後悔してるわけでは全くない。メルボルンに来なければ気づけなかったことや、学べなかったことがあったから、本当に来てよかった。

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